清衡館
皆さん初めまして。
こちらが、私、清衡の館でございます。
ここまで築くには色々ありました。
というのも、前九年合戦で父経清が亡くなり、7歳だった私と母は戦利品として敵方へもらわれていき、辛い生活をしていました。
しかし、母からは、父の思い、安倍氏の思いを聞かされ、両者の血が流れている私は生き延びて後に陸奥国の覇者とならねばと思っていました。
その後、後三年合戦を経て勝ち残り、父経清を思い同じ江刺の豊田館に館を構えたというわけです。
父の館との違いは、まず屋根です。
私は棚葺きといって12mmの杉板を約5 0万枚積み重ねて作らせました。
そして寝殿造りを意識して4つの部屋を渡り廊下でつなげたので、だいぶ生活はしやすくなりました。
また格を上げる為、私の部屋、寝殿は他の部屋より一段高く作ったのも特徴です。
この館で私は次の地、平泉への進出を考えていたのです。
長きにわたった戦乱の死者への供養、仏教による文化の向上を考え、平泉黄金文化を築く事が私の夢でした。
どうか、この後私が築くであろう黄金文化の代表作金色堂も見ていって下さい。
後ろの門を出て炎坂を下った先にあります。
その先にある私の孫にあたる三代秀衡が作った伽羅御所も見ごたえがあります。
まったくすごいものを作ったものです。
それでは、我が奥州藤原文化をこの後もゆっくりご堪能下さい。